節分祭
<豆まき>
午前 6時〜正午まで朝の勤行後から豆まきできます。
※午前8時30分頃より招福大祈祷準備のため、一旦豆まきが中断されますが、招福大祈祷後に再開されますのでご了承ください。
<招福大祈祷>
午前 9時招福大祈祷には、家内安全、商売繁盛、心願成就等の祈願札のご用意があります。
招福の大祈祷にお出かけなされて、よりよい福を授かりましょう。
【節分祭について】
新明国上教会では午前6時より正午までの『昇りの心』(願い事は太陽が昇っている時間帯にするのがよいという教え)でそれぞれの目には見えない厄を払い、福を授けていただけるようお願いします。
よりよい福の心を養って立春を迎えましょう。
また、新明国上教会では厄年等に限らず、どなたでも、豆まきができ、天地の心様に守護を念じることができます。
( 御参詣の難しい方はご家族の方が代理でまくこともできます。)
【豆まきについて】
豆まきの受付
豆まきは当日も受け付けております。
一般:5000円
学生:3000円
豆まきをされた方には『御札・お守り・御神酒・福豆』が授与されます。
※学生・未成年の方には御神酒が含まれておりません。
『空徳空面』の御札について
豆まきをされた方には『空徳空面』という御札が授与されます。
これは新明国上三宝経の中にある一節『くうとくくうめん』の心をあらわし、天地自然の「ありのままの姿」の変化に適応して行くならば、自ずとこの世が明るく開け、真の御守護が授かるというありがたい御札です。
【節分の豆知識】
『節分』について
古来より節分は、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指し、季節の移り変わるときと言う意味があります。
もともとは、1年に4回ある節分ですが現在では立春の前日だけを節分というようになっています。
これは、特に立春の前夜は陰と陽が対立し邪気が生じて災禍をもたらしすと考えたところから、邪気を払う意味でおこなわれていました。
『豆まき』の由来
豆をまく習慣は、中国で大晦日に行われていた儀式(追儺(ついな)式)が日本に七世紀の末頃に伝えられたことが始まりと言われています。
この習慣が、日本でも宮中で大晦日に行われる追儺の儀式となりました。
この儀式は悪鬼や厄神を追い払う儀式では寺社でも行われるようになり、その当時日本で行われていた豆まきの行事と結びつき、近世には広く民間に流布し、全国で数多く行われるようになりました。
それが現在の我々が知っている節分です。
また、各地のお寺ではこの頃に修二月会とか修二会と呼ばれる追儺の儀式が行われます。
特に奈良東大寺二月堂のものは「お水とり」として有名です。
法隆寺の修二月会は平安時代の宮中の追儺の儀式に一番近い形を残していると言われています。
誰が豆をまくの?
豆まきは一般的に、大豆を煎って升にいれ神棚に供え、年男、年女、厄年の人、または一家の長がまいている家が多いようです。
近年、有名な神社やお寺で行われる豆まきは、その年の干支生まれの有名芸能人やスポーツ選手が行う場合が多く、儀式性が薄れてきているようにも感じられます。
新明国上教会では、年男、年女、厄年、また一家の長でなくても、どなたでも豆まきをつとめ、その年の厄を払うことができます。
また、豆まきの御法は、教会独自であり、非常に儀式性が残る豆まきの行事で、どなたでもその儀式に参加することができます。
豆のまき方
一般的なまき方は「鬼は外」といいながら玄関から外に2度まき、次に「福は内」と2度いいながら家の中にまきます。
「鬼は外」「福は内」の口上は少なくとも室町時代にはできていたようです。
一般的にはこの後、自分の年齢または年齢より一つ多く豆をたべたりします。
「茶碗に豆をいれて熱いお茶をそそぐ」
ところで、自分の年齢の豆なんて食べられないとおっしゃる方もおられます。
何十個も食べられない方には、いい方法があります。
福茶といって、茶碗に豆をいれて熱いお茶をそそぎそれを飲めば、豆を食べたのと同じだそうです。
<参考>
最近では全国区になってきましたが、特に関西では、巻き寿司をその年の恵方を向いてまるごと無言で食べるとその年は災難をのがれるという風習があります。
巻き寿司を使うのは「福を巻き込む」からで「縁を切らないために包丁を入れない」ということで、まるごと食べることになったようです。
これはもともと、愛知県の方の風習らしいのですが(大阪起源説もあり)1977年に大阪海苔問屋協同組合が、道頓堀で行った節分のイベントをマスコミが取り上げ、早速全国のお寿司屋さんがそれに便乗して全国に広まったということのようです。
この日大阪梅田の阪神百貨店では巻き寿司が何万本も売れるとのこと。
さすが、大阪商人ですね。
なお、恵方(えほう,あきのかた)というのはその年に美しき歳徳神がいる方角です。
近年の豆まき事情
豆まきの豆について、重要なことのひとつは煎り豆を使うということです。
万一、生豆を使って、拾い忘れたものから芽が出るとよくないことがある、と言われています。
また近年「下に落ちた豆を食べるなんてきたない」
といって、大豆ではなくピーナッツを使う人たちが増えています。
この風習は新潟地方から広まったようです。
なお、家庭によっては豆だけでなく、チョコレートやキャンディ、またお金を包んだものをまいたりもするようです。
豆まき口上「鬼は外、福は内」について
一般的な豆まきの口上は「鬼は外、福は内」ですが、そう言わないところも数多くあります。
これは豆まきの風習が全国に普及していくなかで出来ていったバリエーションではなかろうかと思われます。
例えば起源がはっきりしているものとして、福島県の二本松地方では「鬼は外」とは言わないか、あるいは「鬼外」と「ハ」の音を抜かします。
これは二本松藩の殿様は丹羽氏なので、「鬼は外」と言うと「お丹羽様外」になってしまうからだといいます。
現在では豆まきの時のセリフのバリエーションについても民俗学で研究がおこなわれているようです。
基本的な話として「鬼は外」と「福は内」のどちらを先に言うか、とか、それぞれを何回言うか、というのが地方によって異なっていたようです。
ただし最近ではこの付近の風習はどんどん曖昧になってきているようです。
今そういう習慣が残っているかどうかは分かりませんが、「富は内」というのが加わるところもあったようですし、「大荷(おおに)は内」などというのが入るところもあったようです。
また、「鬼の目玉ぶっつぶせ」というのが加わるところ、かけ声?で「ごもっともさま」というのが入るところなども文献上は記録されているようですが、今でもこういうのをやっているかどうかは分かりません。
因みに、新明国上教会では『福は内、鬼は外』の順で豆をまきます。
鬼は「ひいらぎ」と「いわしの頭」が苦手?
昔から節分の夜に出没すると考えられた鬼ですが、ひいらぎの葉が鬼の目を刺すということで、ひいらぎのあるうちには鬼が来ないといわれていました。
また、いわしの頭の異臭が鬼を近づけないとも考えられていました。
これらは現代でもひいらぎの小枝にいわしの頭を焼いて刺す「やいかがし」の習慣として残っています。
豆まきはこの「やいかがし」で追い払った鬼に追い討ちをかける役目もあったのです。
鬼問答
これは豆まきの変種でしょうが、東京・世田谷の喜多見氷川神社では「鬼問答」と呼ばれる神事が行われます。
赤・青・黒・白の4人の鬼がやってくるので、神官がそれを止めようとします。
鬼は「鬼は内」という声がした、と言うのですが、結局神官からするめをもらって追い返されることになります。
鬼といえば桃太郎
桃太郎は鬼を倒すために、非常に強力な象徴を率いて攻めていきました。
まず桃太郎自身が「桃」から生まれていますが、桃は中国古代より悪霊邪気を祓う聖なる植物とされていました。
そして、連れているお供が犬・猿・雉ですが、これは十二支でいうと、申・酉・戌と対応しており、これは方位に直すと、ちょうど西の方位をカバーしています。
西は陰陽道では「硬いもの」つまり金物=剣であり、鬼を倒すのに力強い存在なのです。
桃太郎といえばキビダンゴ、キビダンゴといえば岡山県。
ということで、桃太郎の本拠地としては岡山という説が有力です。
そして桃太郎のモデルは吉備津彦(きびつひこ)ではないか、という説もまた有力です。
吉備津彦は吉備津彦神社・吉備津神社の御祭神ともされている古代の英雄で、この地方を荒らしていた温羅(うら)という山賊を倒したと言われています。
その温羅の首が埋まっている所の上に、岡山市吉備津神社の「鳴釜神事」に使われる釜が置いてあります。
つまり、吉備津彦が桃太郎のモデルとすると、桃太郎伝説の「鬼」というのが温羅であるということになります。
温羅の首は討ち取られてからも怪異をなしていましたが、そこに釜を置き、温羅の妻・阿曾姫に食事を供えさせるようにしたら怪異をやめ、釜の鳴り方で吉凶を告げてやろう、と吉備津彦に告げ、それが1500年ほど、ずっと守られてきています。
温羅は吉備津彦に「幸いある時は釜を豊かに鳴らし、災いある時は釜を荒々しく鳴らす」と告げたそうです。
この釜のことは「吉備津の釜」の話でも有名です。
なお、温羅はこの地方では「丑寅御前(うしとらみさき)」という名前でも各地に祭られており、梁塵秘抄は「丑寅御前は恐ろしや」と伝えています。
荒々しい神のようです。
しかし吉備津神社の本来の御祭神が温羅なのではないかという説を唱える人もあります。
この神社は東北(つまり鬼門)を向いている、珍しい神社なのです。
なお、キビダンゴですが、これは「黍」と「吉備」の掛け言葉になっています。
もともとこの吉備津神社の境内で売られていたものが全国に広まったとも言われています。(諸説あり、江戸発祥説もある)
基本的には、黍を練って作ったものと、普通に米粉で作って最後に黍の粉を振りかけるタイプとがあります。
日本には仏教や道教、儒教、陰陽道等、様々な外来宗教と日本に古くからある宗教とが習合して、様々な彩りを感じられる伝説や神話、説話がまだまだたくさんあるようです。